条約交渉の開始まで

気候変動問題に対処するため国際的な取り組みが開始されたのは、1980年代の後半です。1985年にオーストリアのフィラハで「気候変動に関する科学的知見整理のための国際会議」が開催され、この会議では「21世紀半ばには人類が経験したことのない規模で気温が上昇する」との見解が発表されています。1986年には世界気象機関(WMO)、国連環境計画(UNEP)と国際科学者評議会(ICSU)が、「温室効果ガスに関する助言グループ(AGGG)」を発足させています。1998年6月にはカナダのトロントに40数カ国の科学者、政策決定者、NGOなどが集まって「変化する地球大気に関する国際会議」が開催されました、このトロント会議は、G7サミットの後に開催されたこともあり、多くのマスコミ関係者も参加し、メデイアにも気候変動に関する認識が広まりました。このトロント会議では、地球全体の目標として、「CO2排出量を2005年までに1988年レベルから20%削減し、長期の目標としては世界全体で50%削減が必要」という、「トロント目標」と呼ばれる勧告が出されています。同じころ、アメリカの上院の公聴会で航空宇宙局(NASA)のジェームス・ハンセン博士が、「1980年代の暖かい気候はたまたまではなく、気候変動と関係していることは99%の確率で正しい」と証言し、大きな注目を集めました。

1988年秋には、気候変動問題についてのデータや知見を集め、これを評価するIPCCが設立されました。

1989年11月にはオランダのノルトヴェイクで、約70ヵ国の大臣が集まる閣僚級レベルの会議が開催され、「削減目標を設定すべき」と主張するオランダやスウェーデンと、これに反対するアメリカ、一律削減に反対する日本などが対立し、最終的に「温室効果ガスを安定化させる必要性を認識する」との宣言が採択されています。

同年12月に開催された国連総会は、1972年にストックホルムで開催された「国連人間環境会議」の20年目にあたる92年に、「環境と開発に関する国連会議(地球サミット)」をリオ・デ・ジャネイロで開催することを決議しました。決議は以下のように述べています。

「環境はますます悪化し、地球の生命維持システムが極度に破壊されつつある。このままいけば、地球の生態学的なバランスが崩れ、その生命をささえる特質が失われて生態学的なカタストロフィー(破局)が到来するだろう。私たちは、この事態を深く憂慮し、地球のこのバランスを守るには、断固たる、そして緊急の全地球的な行動が不可欠である。」

 地球サミットに向けて、気候変動(気候変動)問題、生物多様性の保全問題そして森林問題についての3つの条約を策定すべく交渉が開始されました。しかし、先進工業国と途上国の対立から森林問題についての条約を作成することは断念され、気候変動問題と生物多様性の保全についての条約交渉が進められることになりました。

1990年8月、IPCCは第1次評価報告書を発表し、温室効果ガス濃度の上昇が人間活動によること、対策をとらないと今後100年で平均気温が約1~3度上昇する可能性を指摘しました。(表1)
表1 条約・議定書交渉の経過
1958マウナロアでCO2観測開始
1985フィラハで「気候変動に関する科学的知見整理のための国際会議」
1986「温室効果ガスに関する助言グループ(AGGG)」発足
1988トロントで「変化する地球大気に関する国際会議」/IPCC発足
1989ノルトヴェイクで閣僚級会議
1990IPCC「第1次評価報告書」/第2回世界気候会議
1992気候変動枠組条約に合意/地球サミット
1994気候変動枠組条約発効
1995ベルリンでCOP1/ベルリンマンデート採択
1997COP3/京都議定書採択
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